なんか最近カオスですねー、と言いつつ、世界なんて思えば、ずっとそこそこカオスかと思う。
そもそも世界の自然状態とは
17世紀に、哲学者ホッブズは、
👨🦰自然状態に近い社会では、万人の万人に対する闘争が起きるから、それをおさめるために社会契約を結んで国家が作られてるんだよ(社会契約説ってやつ)
と唱えた。
↓ゾンビのせいでカオスになった世界
一方、ルソーは、
👱♂️自然状態の人間とは自己愛と闘争心以外持たないピュアな存在だ
と唱えた。
↓こんな感じ?
どちらも合ってると思うけど(私が断定していいのかな)いずれにしてもカオスである。文化と社会が形成されていてもどこかカオスなのは仕方ないのかもしれない。
文化への新しい波を感じる
今更だけど、SNSの著しい発展で世界の文化も混ざり新時代に突入してる感じがする。
もともとの世界の文化を強引に二つに分けると「恥の文化」と「罪の文化」があり、それぞれ以下特性があった。
恥の文化 (Shame Culture)
- 特徴: 他者の目や社会的評価を重視し、「恥ずかしいかどうか」が行動基準となる。他人から批判されることを恐れ、集団内での調和を重要視する
例: 日本は典型的な恥の文化を持つ国で、失敗や間違いを避けるために「空気を読む」ことが求められる。
歴史的背景: 武士道や共同体社会の影響で「名誉」を重んじる価値観が形成された。
罪の文化 (Guilt Culture)
- 特徴: 内面的な良心や神との対話を基準に行動し、「正しいかどうか」が重要。他者の目ではなく、自分自身との対話で罪を認識する。
- 例: 欧米諸国では、行為そのものと個人を分けて考え、罪を償うことで再び社会に受け入れられる。
一長一短だね
勝手にそれぞれの問題点を述べると、「恥の文化」はあまりに流動的であり、主体性が欠如している、「罪の文化」は社会的価値基準が欠けてしまう可能性、限定合理性が加速する可能性があり。
AIが本当に強くなりそう
1番いいのは、皆が皆すごい良い教育を受ける、表面的なものではなく、哲学とかも含め、考える力を身につける。その上で社会や人の在り方をちゃんと考えられるようになり、物事を判断していくことかなと思うけど、そのハードルはいろいろ高いと思うから、
賢い人やインフルエンサーが言ったこと、自分たちの文化を参照→
やがて賢い人やインフルエンサーも「よくわかんないな。鵜呑みにする対象でいいのかな」となる(それらしいことを言うとインプレッションが増える構造がアダになる)→
「教えてAI」になりそうだなと思った。
ただAIもシンギュラリティ説(強くなりすぎて人類に反目する説)があり、インフルエンサーと代替されることはしばらくか永遠になさそうなので、物理的事実の整理としての機能が早急に求められそう。
ここの機能性が高められるだけでも無駄なカオス度が減り、新しい時代が来る気がする。今のカオスに社会がより食傷した時、需要が高まるので、その時はもう少しで到来するかもしれない。
INFORMATION
ホッブスとルソーの本を読む方法
1. 図書館
公共図書館や大学図書館では、ホッブスの『リヴァイアサン』やルソーの『社会契約論』、『エミール』などの主要著作が所蔵されていることが多い。
2. 書店
大型書店(例えば紀伊國屋書店やジュンク堂書店)では、ホッブスやルソーの著作が文庫版や新書版で販売されている。特に岩波文庫やちくま新書などのシリーズで手に入りやすい。オンライン書店(Amazon.co.jpや楽天ブックス)でも購入可能。
3. オンラインで無料公開されているテキスト
一部の古典作品は著作権が切れているため、インターネット上で無料で読める場合がある。例えば:
- Project Gutenberg(英語原文):ホッブスやルソーの原著が公開されている可能性があり。
- 青空文庫(日本語):ルソーの一部作品が日本語訳で読める場合があり。
4. 電子書籍サービス
KindleやGoogle Books、楽天Koboなどのプラットフォームで、ホッブスやルソーの本が電子版として購入できる。一部は試し読みも可能。