
映画『E.T.』を観た。夜の森、郊外の家、白い防護服、自転車が浮く空。何度も知っている映像を、今回は少し引いた位置から見ていた。子どもの映画として見ていたはずなのに、出てくる大人の顔ばかりが印象に残った。
あらすじ
夜の森で少年エリオットが不思議な光を見つけ、指を光らせる宇宙人E.T.と出会う。なんやかんやあって、エリオットの家でE.T.を隠すことになる。会話もろくにできなかった間柄なのに、E.T.は、エリオットの親友ポジションに。
しかしE.T.は普通に宇宙人なので白い防護服の政府チームが動き出す。たくさんの車に包囲され、家への無断侵入が行われる。E.T.は病に倒れ、同時にエリオットの体も弱っていく。庭の花が枯れ、E.T.が「家に……帰る……」とつぶやく。エリオットは状況を理解しきれないまま、ただ固まっている。
死んだと思ったE.T.は奇跡の復活を経て森に逃げる。最終的に白い防護服の集団はE.T.を包囲するも、E.T.が迎えに来た船に乗った瞬間、全員が銃を下ろして、帰還の瞬間を見送る。
悪者ポジション
防護服チームは政府の科学者・医療チームで、リーダーはKeys、NASAやCDC的な組織に属している。目的は未知の宇宙生物E.T.の保護と研究で、最初から殺す気もなく銃も使わず、瀕死のE.T.を本気で救おうとする。そして
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僕も子供の頃宇宙人に会いたかった |
と優しい顔で語る。
スピルバーグは1982年のインタビューで、彼らは悪人ではなく、大人になって夢を忘れ、現実や正義を優先するようになった哀しい存在で、子どもからは脅威に見えるけど彼らなりに正しいことをしていると語っている。
現実ならE.T.はエリア51送りで再生医療革命、ノーベル賞量産コースだけど、スピルバーグはE.T.を研究材料ではなく友達として扱う結末にした。
だから森のラストでKeysはエリオットと同じ目線で宇宙船を見上げ、その場で「追うな」と判断し、銃を下ろしている。
意味深いエンディング
E.T.の防護服チームは、悪い人ではないけど、子どもにとっては確かに怖い大人たちに見える。でも最後の最後で、E.T.の恐怖心や星に帰りたい気持ちを尊重する側に戻った。これはすごく象徴的なことに感じるし、自分は少しの間意味がわからなかった。
立場を整理すると
・防護服チーム→E.T.を研究材料にすることで科学技術に役立てたい。個々の動機がお金なのか、科学技術の進歩による多数の幸福なのかは明かされてないが、結果的に人類にプラスの還元ができる可能性あり。
・子供達→E.T.を星に返してあげたい。
・E.T.→星に帰りたい。
となるけど、結果的に一つの生命体が自分の星に帰るというまっとうな権利を何よりも重視したということが、「成果や生産性に最も比重を置く偏った合理主義にノーを突きつけているという点」でめちゃくちゃすごい。
「成果や生産性に最も比重を置く偏った合理主義」の例をわかりやすく言うと、結果的に大多数を幸せにできれば少数は蔑ろにしていいや、という考えで、算数的には合理的に見えるし、当人たちも違和感を抱きづらい思考体系となっている。

E.T.が人間の少年と友情を育める優しい宇宙人だからと言うのもあり、その思考体系によりある種の思考停止をしていた人たちが目覚めるシーンがとてもきれいに見える。そして映画を観ている自分も少し目覚めた感覚がある。
全体的に防御服の人たちの一連の動きや感情の流れを見ていると、監督スピルバーグはまっとうな人なんだろうなと感じた。
INFORMATION
『E.T.』を観る方法
- Amazonなどストリーミングサービスで視聴する
- DVDやブルーレイを買う


