『それでも夜は明ける』っていう映画を観た。
人種差別の映画って結構みるけど、『それでも夜は明ける』は黒人が奴隷の時代かつアメリカの南北で対応差のある時代の話で、思った以上に観ていてきつかった。
ちなみに主人公はニューヨークでインテリバイオリニストとして生活していたところ、誘拐されて南部で奴隷になるという大変な目にあった人だった。
そもそも奴隷っていう制度がどうなの、と言うのはもちろんあるけど、作中の奴隷に対する虐待描写がひどくて、印象に残った。
かなり虐待する人、虐待しなくてちゃんと扱う人で分かれてるけど、はて、その差はなんだろ? と思った。
時代背景
まず時代背景から振り返る。
映画の舞台である1840年代のアメリカは、リンカーン大統領就任(1861年)前の奴隷制度を巡る南北対立が深まる時期。
南部経済は奴隷労働による綿花生産に依存、約250万人の奴隷が人口の15%を占めていた。北部では廃奴運動が勢いを増し、アミスタッド事件や地下鉄道が奴隷制度の非人道性を強調。
リンカーンはイリノイの地方政治家として奴隷制度拡大に反対する穏健派だったが、全国的影響力はまだ限定的。ミズーリ協定後の新領土問題や国際的批判の高まりが内戦への緊張を醸成していた時期だった。
映画の中の虐待する人、しない人
虐待の内容は最悪殺してしまう、鞭で打つ、疲れてるのに夜中にダンスをさせる、性的虐待をする、とかで、内容はかなりひどい。
一度主人公が恨みを買って、縛り首になるんだけど、それを止めた人も
🧔♂️器物破損は法律違反だ
みたいな感じの止め方でしかも完全に紐を解かないで立ち去っていて、正義感のある感じの止め方ではなかった。
主に虐待した人は、まず、ポール・ダノ演じる大工、
↓『リトル・ミス・サンシャイン』で根暗な長男の役だった人
マイケル・ファスベンダー演じる農園主、
↓『シェイム』では主役
サラ・ポールソン演じる妻
↓キャロルの親友役
で、虐待をしなくてちゃんと対峙してくれる人は、ベネディクト・ガンバーバッジ演じる農園主
↓『シャーロック・ホームズ』など代表作多数
ブラッド・ピット演じる大工
↓最近だと『F1』に出てる
だった。
ブラッド・ピットがちょっとレベル高すぎるけど、全員洗練された雰囲気のある俳優さんだと思う。
でも虐待する側の人たちはとても嫌らしく時に狂気を感じさせる演技をしているから、とてもイケメンにも美女にも見えなかった。
違いを考える
すごーく直感的に言うと、虐待しない人の方が悩みやコンプレックスは少なそう。
◾️虐待側
大工(ポール・ダノ)そんなに仕事できない?なんか不恰好?
牧場主(マイケル・ファスベンダー)モテなさそう。仕事もうまく行ってない
妻(サラ・ポールソン)夫が奴隷と関係を持っている
◾️虐待しない側
牧場主(ベネディクト・カンバーバッチ)借金あり
大工(ブラッド・ピット)何が正しいか考える余裕ある感じ
コンプレックス?
コンプレックスの強弱が虐待の程度に関係するか調べたところ、たしかにコンプレックスが強い人は、低い自尊心やフロイトの投影による防衛機制から攻撃性が高まり、虐待に至る可能性があるみたいだった。
自尊心仮説では、自己価値の不安が他者への支配で補われるとされる。フロイトの理論では、受け入れられない感情を他者に押し付け、虐待で心のバランスを取る場合がある。社会的学習理論では、過去の虐待経験が行動を形成する。
だけど、もちろんコンプレックス単独では原因にならず、ストレス、環境要因、感情調節困難、トラウマが絡むみたいだ。
なんとなく感覚的にわかっていたけど、改めて頭の中で言語化すると考えさせられる。
現代の課題
コンプレックスは心の深い部分に根ざし、時に虐待やいじめを引き起こす要因となる。特に思春期は感情が不安定で、こうした問題が表面化しやすい時期だ。
また、コンプレックスは消費者行動にも影響を与え、企業や社会がその感情を煽る風潮も見られる。
まとめ
いや、あの悲しい映画観て何コンプレックスが問題って話してんの
って思うけど、社会的な構造(この映画だと奴隷制度)もいろいろ考えないといけないものの、もっと個人の単位で人がまっとうでいられる方法って何かなーと思った。
↓アカデミー賞受賞シーン
INFORMATION
『それでも夜は明ける』を観る方法
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